ここは、仙人による(浮世離れした)日々の出来事を徒然なるままに残していくブログです。
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2009年1月15日
中学校での出来事、ちょっとした生徒同士と云っても 「たった二人」 だけの小競り合いで、双方の生徒と先生を交えての和解がなされた。 当然、先に 「ちょっかい」 を出した方が 「謝り」、双方が納得して分かれたそうだが、ここまでは当たり前の学校側の行動であろうと思う。 敢えて、第三者が 「何も」 とやかく言う必要もないと思う。 だけど、学校から 「ちょっかい」 を出した子供の親に連絡を取り、その学年主任がこれからお宅に伺って 「親と子供」 と今日の出来事について 「話し合いたい」 と云う趣旨の電話が入った。 その話の内容の中に何度も 「内蔵が破裂したらどうするのだ」 と言うことを云われたそうだ。 しかも、素手で、一体、今時の学年主任とは「何なの」と云いたくなる。 「馬鹿か」 一言。 だけど、「小競り合い」 と云っても、「今時の人」は、という思いも分かるが。 毎日、見ている子供たちではないかと云いたい。 一体、毎日 「なに」 を見ているのだ。 学校に対して不信感が湧いてくる。 今日のタイトルのような人が、訳も分からずまた謂われもなく 「他人」 に 「法界悋気」 する人が多くなってきているような 「世の中」 のように思うのだが、自分だけ。 PR この記事にコメントする
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